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生まれた意味などない、というところから人生が始まる

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僕は10代〜20代前半のころ、自分には「生まれてきた意味がある」と信じていました。

誰もが、何らかの意味や使命をもってこの世に生まれてきたのであり、それは人生のどこかの段階で明らかにされるはずだ、という考えです。

そう信じ込んでいた時代背景には、ニューエイジ・ムーブメントの高まりがありました。今で言うスピリチュアル(精神性)に重きを置いた価値観がサブカルチャーとして流行し、元からサブカル趣味だった僕は、その影響をマトモに受けていたのです。

それから随分と年齢を重ねて、今では「生まれてきた意味などないよなぁ」という、あまりぱっとしない現実を受け止めています。

生まれてきた意味がない以上、生きて行く意味もありません……と書くと、ひどく暗い話のようですが、そうではありません。

人生に必要なのは、意味ではなく目的だからです。
生きてゆくために必要なのは、意味ではなく目的なのです。

「生まれてきた意味」という時、それはどこか「先天的に与えられた使命」というニュアンスを帯びています。生まれ変わりによって代替わりを成就するダライ・ラマでもない限り、人生に使命などありません。

ただし、使命がないことを残念に思う必要はありません。
使命がない、という事実は、人生に自由をもたらしてくれます。

もし、自分が「ダライ・ラマの生まれ変わり」という使命をもって生まれてきていたとしたら、どれほど宇宙飛行士になりたいと思っても、ダライ・ラマになるしかありません。

あるいはインドのカースト制度のように、どれほど努力しようが、泣こうが喚こうが、大人になったら親の職業を受け継がざるを得ない、ということになります。

使命とは残酷です。

使命がない人生であれば、個人の努力次第で、どのようなことにもチャレンジすることができます。夢をもつことができます。現状から逃げ出すことも許されます。
逃げ出した場所へ、もう一度帰ってくることもできます。

使命がない人生は自由です。

その自由をうまく飛ぶために必要なのは、目的だけです。
飛ぶ方向を決める目的地は、自分自身で決めることができます。

うまくたどり着けるのかはわかりませんが、とにかく飛び立つことはできます。

途中で墜落したとしても、ダライ・ラマになるしかない人生よりは、きっと色々な景色が見えるのではないでしょうか。

目指した目的地にうまくたどり着くことができれば……あるいは、不時着した場所が幸福であれば、きっと、そこで初めて人生の意味というものが見つかるのかも知れません。



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